部屋を見渡すと「多すぎるくらいの物に囲まれている」そう感じることがあります。
特に休日はゆとりのある空間でのリラックス時間を求めているのに、現実はそうは行かないです。
私は今この問題をどうにか解消したいと考えていて、その方法をYoutubeや書籍から学んでいるところです。
手放しているのにゆとりは生まれない
ゆとりを求めて始めたことの1つに断捨離があります。
断捨離をすることで、整理整頓もできてちょっとはスッキリしたと感じることもあります。
ですが、取り組みにかけている時間ほどのゆとりは、生まれていない状態です。
これには別の問題があります。
触れないようにしてはいたのですが、思っている以上に「物を買っている」ということです。
実際我が家には、毎週のように段ボール箱に商品が詰められて、送られてきます。
これは、ゆとりを作るという問題解消を学びながらも、別の情報の影響を受けてしまっていることになります。
そして「購入を繰り返す」「問題解消を学ぶ」「新たな情報から刺激を受ける」の悪循環にハマってしまいました。
物欲はなんだ?
ハマってしまった悪循環から抜け出す!いや、抜け出すことはできないにしても「その影響を小さくしたい」
この一心でまず私の物欲や消費行動について考えてみることにしました。
目標や理想が不明確
理想とする状態がうまく言語化できていない状態では「何を買ったら満足するのか?」「どこまでで十分なのか?」
これらを見失ってしまいます。
そのため、一時的な快楽や社会的なステータスを追求する欲求が生まれ、それが物欲に繋がっている感じがありました。
例えば、本当に望んでいるのは「心の余裕」と「共感できる人間関係の充実」かもしれません。
それなのに見失うことで、最新の家電や流行のファッションアイテムで周囲の気をひきつけ、幸福感を得られたと錯覚する。
これの繰り返しで、本来必要のない物欲が生まれている可能性があります。
無意識の誘導
ゆとりを探す中で私は、YoutubeやInstagramなどでヒントを探していました。
その作業も飽きてしまうと、いつの間にかスニーカーや他の人の買った物レビューなるものを目にしてしまいます。
そして1度見始めてしまうと、無意識に似たようなサジェストされたコンテンツに釘付けになります。
この繰り返しで、無意識のうちにそれらのブランドや商品を自分のものにしたい、購入したい!という気持ちが生まれている可能性があります。
購入パターンを考えてみよう
物欲が生まれるケースが見えてきたところで、ではなぜ「購入まで至ってしまうのか」について考えてみました。
「残り○点 」「在庫なし」 表記の煽り
物欲が100%ではない、今すぐ欲しいわけでもない。そんな状況なのに買ってしまうのが、このパターンです。
定期的にみに行った時に、徐々に残り○点の数が減っていったり、在庫なしの表記に変わったり。
本当であれば誰にも邪魔されるはずのない「購入の検討に使える時間」
これが、知らず知らずの間に奪われて、一気に購入まで導かれてしまいます。
タイムセールの割引表記の煽り
一気に購入まで導かれるパターンに、タイムセールがあります。
特にネット通販サイトでは、大々的にセールの発表と「価格の比較」に目が止まってしまいます。
普通は、探していたものや悩んでいたものが「本当に欲しいもの」に近いはずです。
ですが、このセールの効果によって、そこまで欲しくないものもお得だから欲しいものにすり替えられてしまいます。
すり替えられた欲は、タイムセールという限定的なイベントの作用で、購入に導かれてしまいます。
飢餓感
最後はちょっと毛色が変わるのですが、見逃せない「飢餓感」です。
最近ではこのケースでの購入が減ってきたのですが、たまにあります。
1番酷かったのは、学生時代の裏腹ブームの頃でした。田舎出身の私は特にあの頃に流行ったブランドに憧れがありました。
それの憧れが大人になっても残り続けて最近までは、Supremeの新作情報を毎週追って、購入を繰り返していました。
これが飢餓感に関わる部分です。
Supremeのような人気ブランドは
- そもそも発売日に購入できるかどうかもわからない
- 発売日を逃したら正規で購入する方法もない
というダブルパンチによって、常に買いたいけど買えない商法に乗ってしまっていました。
その結果、本当に欲しいかもわからないけど、基本的には買えないから更新される情報から欲しいものを選ぶ・購入する。
このような、謎の状況に陥っていました。
色々と疑って時には距離を取ろう
SNSの情報は錯覚を起こす
例えば昔は、自分の身の回りで流行っているものや雑誌の情報。
これくらいの規模とスピード感で情報を感じていました。
しかし今では「世界のリアルで流行っているもの」の情報が勝手に入ってきます。
そこからいつの間にか
- 自分の年齢だとこういうの持っていた方がいいのかな
- こういう人みたいになるには、こんなものをこれくらい持つとかっこいいのかな
というようなよく分からない他人との比較から、本当は不要なものを必要なものと錯覚してしまいます。
高いからいいものではない
値段についても錯覚があるかもしれません。
最近私が感じたのが「高いからいいもの」ではなく「需要の指数」であるということです。
これは、みんなが欲しがっているから、その価格になっていると言い換えることができます。
私が特にこれを感じたのが、NIKEのスニーカーの値上げでした。
どこから発信されたかも分からない「スニーカーブーム」という言葉を耳にする今。
私がよく買っていたエアジョーダン1が信じられない値上がりをしていました。
- 2016年10月に買ったもの17,280円
- 2020年10月に買ったもの17,600円
- 2022年2月に買ったもの19,250円
- 今年購入を迷っているもの26,950円
多少モデルによる差異はあるとはいえ、同じエアジョーダン1と考えると驚きです。
このように、私は一見自分で「物欲」からの「購入」も、購入する時の「価格」も
全て自分でコントロールして判断しているつもりでしたが、残念ながらそんなことはないようです。
まずは、自分の特性や今の置かれている状況をしっかり把握して、優先することは何か?
これを整理することで、現実の状況も整理できる手がかりになる気がしました。
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